プロレスは「説得力」を想像させる競技である。

俺は親父の影響でプロレスがかなり好きで特に昔の新日本プロレスの試合をよく見て育ってきた。UWFとの全面戦争や闘魂三銃士などの動画を今でも見るくらい好き。昔はプロレスはガチだと思ってた人も八百長だと思ってた人もいたらしいがレフェリーを長年務めていたミスター高橋が暴露本を書いたことによって「プロレスは八百長」だというイメージが世の中で定着した。友達にも「プロレスは八百長なんでしょ?」と聞かれることがたまにある。その度に説明するのがめんどくさいので「まあそうだね。ショーだよ」と返事をする。でも正直な気持ちをいえばちゃんと説明したい。プロレスはもちろん八百長であるけど八百長であるが故に楽しめる競技である。要は観客に説得力を想像させる競技である。当然プロレスにはどちらが勝つといった構成がある(八百長)ことが前提として話をさせてもらうがここが大事になってくる。どちらが勝つ、どちらが負けるということを承知した上でプロレスラーというのは自分を表現しなければいけない。しかしプロレスの世界で勝ち負けは第一優先事項ではないことはここで主張しておきたい。それは説得力があるレスラーについてくるものだからである。例え負けたとしても「こいつ一つ一つの技にキレがあって反応もいいし受け身もとれてる。」と観客に思わせればそのレスラーは実質勝ちである。そんな試合をずっと続けており負け続けてるようなレスラーがいれば観客は不審に思うだろう。もちろん団体もそのレスラーに対して勝たせるシナリオを作るはずである。逆も然りで勝ち続けても「勝ち方しょっぱいな」と観客に思われればそのレスラーはそれから負けのシナリオが用意されていくだろう。プロレスは八百長だからこそ実現する想像させる競技なのである。

濡場の無い映画を求めて

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